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#日本研究之窗——系列讲座(电影) 第五讲:对中日交流产生过影响的日本电影# 我们精心安排了“日本研究之窗”系列讲座,希望通过此次不受空间距离限制的活动,能够让更多的朋友们从中感受到日本文化以及日本研究的魅力。【第五讲:对中日交流产生过影响的日本电影 人民中国杂志社总编辑 王众一】→日本研究之窗——系列讲座(电影) 第五讲:对中日交流产生过影响的日本电影
#日本研究之窗——系列讲座(电影) 第五讲:对中日交流产生过影响的日本电影# 我们精心安排了“日本研究之窗”系列讲座,希望通过此次不受空间距离限制的活动,能够让更多的朋友们从中感受到日本文化以及日本研究的魅力。【第五讲:对中日交流产生过影响的日本电影 人民中国杂志社总编辑 王众一】→日本研究之窗——系列讲座(电影) 第五讲:对中日交流产生过影响的日本电影
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我们精心安排了“日本研究之窗”系列讲座,希望通过此次不受空间距离限制的活动,能够让更多的朋友们从中感受到日本文化以及日本研究的魅力。
第五讲:对中日交流产生过影响的日本电影
吉林大学研究生院外语系毕业,获硕士学位。现任日文月刊《人民中国》总编辑。曾以访问学者身份在东京大学从事表象文化研究。研究领域集中在国际传播、大众文化、翻译学实践与理论等方面,特别对电影与传播的关系、中日文化交流史等有较多关注,著有随笔、评论与人物专访等。近年尝试以汉俳形式汉译日本俳句、川柳,并从事汉俳、俳句创作。著有《日本韩国国家形象的塑造与形成》等,译著有《溥仪的后半生》《中国衣饰文化》《日本电影100年》《日本电影的创新激情》《严复——中国近代探寻富国强兵的启蒙思想家》《日本电影110年》《横滨玛丽》等。
20世纪50年代,中日恢复民间交往之后,中国曾引进一批如“前进座”等日本左翼团体及电影人拍摄的进步电影。比如木下惠介的《二十四只眼睛》、山本萨夫的《箱根风云录》、新藤兼人的《缩影》等都给当时的中国观众留下印象。但是,同时期其他日本导演的作品则少有引进,战后日本电影的主流和全貌还鲜为人知。不过,山本萨夫导演的作品因此很早便为中国观众知晓,他在70年代到80年代初拍摄的社会派电影《华丽的家族》《金环蚀》《阿西们的街》《啊,野麦岭》等,在80年代为中国观众了解日本社会的深层结构提供了直观生动的文本。而新藤兼人的电影美学在80年代对中国第五代导演产生了直接影响。张艺谋的《红高粱》中就能够看到其影响的影子。在80年代中日文化交流史的特定语境下,普通观众更多知道的是山本萨夫,而不是黑泽明或小津安二郎。
日本的纪录电影在20世纪60年代末70年代初巨匠涌现,迎来辉煌时刻。小川绅介和土本典昭是两位代表性人物,小川绅介的作品《三里冢第二道防线的人们》、土本典昭的作品《水俣病——患者及其世界》虽然无缘完整地在中国上映,但其片段被当时的中国新闻纪录片引用,让中国观众直观地了解到高速成长期日本出现的征地与公害等社会问题。1971年中央新闻电影制片厂摄制的纪录片《中国乒乓球代表团访问日本》中就有大段对小川绅介作品中三里冢成田机场征地抗争的引用,令人至今难忘。小川绅介后来发起的山形国际纪录片电影节为中国乃至亚洲新纪录片导演提供了交流平台,中国导演彭小莲将小川绅介的遗作《满山红柿》剪接完成,更是一段感人的佳话;土本典昭在21世纪初多次来到中国,与年轻纪录片导演深入交流。他在昆明出席人类学影像研讨会时呼吁借鉴日本的经验与教训,以人为本规划城市,不要为片面追求经济发展而牺牲环境。可以说,土本导演在中国撒播下了环保纪录片理念的种子。
如果说1978年以前在中国上映的日本电影还影响有限,那么在中日和平友好条约签订后的70年代末到80年代中期,中日电影交流的涓涓细流汇成了一股巨大的洪流。这段时间里在中国各大城市的电影院都能够经常看到译介过来的日本电影。
1979年日本电影周拉开了中日电影大规模交流的序幕。引进的作品中有反思战争与妇女问题的《望乡》,有反映日本现实社会问题的《追捕》,反映日本自然之美的《狐狸故事》。熊井启导演的《望乡》中田中绢代、栗原小卷、高桥洋子的精湛演技;佐藤纯弥导演的《追捕》中高仓健、中野良子、原田芳雄、田中邦卫的出色表演;藏原惟善导演的《狐狸故事》中摇滚风格的音乐和拟人化的动物纪录片手法都令中国观众耳目一新。
此后整个80年代,栗原小卷主演的《生死恋》、松坂庆子主演的《莆田进行曲》、森谷司郎导演的《日本沉没》等作品风靡中国,为当时还难以走出国门的多数中国观众带来了对邻邦日本无尽的视觉想象。
不过回顾整个这段时间,对中日交流产生了深远影响的重要作品还要数《追捕》。这部电影值得我们稍作一点深入的分析。
高仓健通过《追捕》带给中国观众一个刚毅、寡默的男子汉形象,一时间他的穿着成为市井青年效仿的时髦,他与真由美大胆的爱更使他成为理想的情人偶像。
中野良子塑造的性情奔放的真由美,在中国被讹称为“真优美”,深受中国观众喜爱,她本人也因此成为中日交流的“民间大使”。
导演佐藤纯弥因为《追捕》带来的名声,于1982年执导了中日首部合拍电影《一盘沒下完的棋》。他的另一部反映战后日美恩怨情仇的作品《人证》,也因一首《草帽歌》在中国轰动,几代人传唱,直到今年上映的《唐人街探案3》中还引用了这首歌曲。不过他的《追捕》更是一部在中日交流史中无可替代、无法复制、不容追随、影响隽永的独一无二的奇迹作品。
受《追捕》的启发,在80年代初,一系列情节上、音乐上、人物关系上与之高度互文的平反冤假错案题材的电影,如《四零五谋杀案》《主犯在你身边》《戴手铐的旅客》密集问世。其中《戴手铐的旅客》在情节上以及人物设定上与《追捕》有高度互文性。
高仓健在《追捕》中与中野良子在北海道展开的爱情令中国观众对北海道留下印象,此后,山田洋次导演的《远山的呼唤》《幸福的黄手帕》通过高仓健与倍赏千惠子的出色演技和北海道的辽阔风光再次俘获了中国观众的心。降旗康男导演的《兆治的酒馆》则又一次把高仓健和北海道小镇的市井人情展示给中国观众。正是从《追捕》开始的这一系列密集的北海道故事在中国的讲述,才有了2008年冯小刚的《非诚勿扰》对北海道外景地的选择。该片成功以后,大批中国游客涌向北海道。日本其他地方政府纷纷与冯氏接洽,试图复制这一盛况,却奇迹不再。事实上,根植于八十年代中国电影观众心中的对北海道的上述美好记忆持续发酵才是该片获得成功的真正远因。《非诚勿扰》一片中男女主人公在草坪上玩人熊嬉闹的游戏,正是对《追捕》中杜丘从熊口中救下真由美这一桥段的致敬。
在此之前,1986年丁荫楠导演在拍摄《孙中山》时,日本实拍部分就启用了《追捕》中的两位演员——扮演真由美的中野良子和扮演矢村警长助手细江的大和田伸也。他们在片中分别扮演了宫崎滔天夫妇。当时,中野良子名下的“真由美会”,对电影的拍摄提供了许多帮助。
2005年,张艺谋终于实现了在北京电影学院学习时立下的夙愿:在他执导的作品《千里走单骑》中,请到了高仓健出演片中的男一号。这部为高仓健量身打造的电影,还得到了高仓健多年电影搭档——导演降旗康男的合作,片中的日本部分就是由降旗康男完成的。尽管导演风格明显不同,但两国导演以这样一种方式合作完成这部作品,也算是中日电影交流史上的一段“和而不同”的佳话了。
与《非诚勿扰》时隔9年,2017年吴宇森导演以《英雄本色》的风格拍摄了《追捕》同名电影。在这部作品中,高仓健饰演的检察官杜丘冬人切换为张涵予饰演的中国律师杜秋。尽管由于没有拿到电影的改编权,说不上是对佐藤纯弥原作的翻拍,只是在原著小说的基础上重新创作,但影片中的人物与情节设定还是能够看到40多年前那部《追捕》的影子。佐藤纯弥的《追捕》对中日人文交流的贡献由此可见一斑。
2006年樋口真嗣重拍的《日本沉没》在中国上映。与1973年版同名作品的比较,中国观众感受到时隔20多年中日关系沧海桑田的变化。进入新世纪,中国观众中兴起了新一轮日本电影热。以电影为媒介的中日人文交流以更为多元的形式在年轻一代中展开。特别是以吉卜力工作室作品为代表的日本动画片,老少咸宜,好评如潮。不过人们在影院看到宫崎骏的《千与千寻》电影,还要等到很晚以后。
2008年,就在冯小刚拍摄《非诚勿扰》,唤起对80年代日本电影的记忆乡愁时,泷田洋二郎导演的《入殓师》进入中国观众视野。主人公不屈服于逆境努力做好本职工作的匠人精神赢得了中国各阶层观众的尊重。泷田洋二郎在接受采访时说,这部电影起先在日本因为题材原因并不被看好,由于首先在中国的大连电影节上获奖受到关注,并在后来又在蒙特利尔电影节获奖,才在日本得到重视,卖出了票房。这也是日本电影影响了中国,之后又在中国的影响下,反过来影响日本的一个案例。
泷田洋二郎导演在中国赢得的名声,使得他有可能像当年佐藤纯弥导演那样,成为新的中日合拍电影的领军人物。
当年看《望乡》这部电影时我还是个少年。熊井启作为一名有良知的社会派导演,满怀同情地描述了日本走向战争年代的时候,一个社会底层的女性悲惨的海外卖身经历以及战后遭受的社会歧视。后来在北京电影学院的学术交流中接触过熊井启导演,我向他表示了对这部帮助我个人认识日本历史原点的作品的敬意。
在本世纪初的一次青年纪录片交流活动中,我认识了年轻的日本导演中村高宽。他和熊井启完全是两代人,对历史认识的角度也很不一样,但他用了整整8年时间完成了和熊井启挑战的题材非常接近的纪录片《横滨玛丽》(2006)。这部描写战后因美军占领流落在横滨的站街女的作品,将一个人的传说与整个城市的历史与传说交织在一起,娓娓道来,仿佛就是《望乡》的续集,但角度和手法却完全不同。许多中国观众在线上浏览过这部传说中的作品。纪录片完成后,他又花了8年时间完成了这部电影的拍摄手记。今年,由我翻译的这部手记刚刚在国内出版面世。
从个人观影史的角度接触日本电影,并从一个较长的时间尺度观察甚至介入通过电影进行的文化交流,这种收获感真是非常令人欣慰。而这些对中日文化交流产生过重要影响的日本电影,今后仍将通过无数个体的观影体验,为增进两国民众之间的相互了解与认知发挥作用。
感谢收听。
计划每周四发布,敬请期待!
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#第十三届中国高校教师日本历史文化(民俗研究)高级讲习班圆满结束# 由浙江工商大学东方语言与哲学学院、浙江工商大学东亚研究院、日本神奈川大学联合主办,贵州大学外国语学院承办,《日语学习与研究》杂志社协办,日本国际交流基金会资助的第十三届中国高校教师日本历史文化(民俗研究)高级讲习班,于2021年7月19日至2021年7月25日,在贵州成功举办。详情请看以下公众微信号“浙商大东亚研究”的报道
日本国际交流基金会推出了新教材《いろどり:生活中的日语》。该教材主要面向在日本工作、生活的人群。通过该教材,大家可以学习到贴合现实生活的日语,并应用于实践。关于本教材文字内容和音频,可通过以下网址全部免费下载。
《入门》教材的中文版终于正式公布了!
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教材中,除涉及会话练习和语法学习的内容外,还有“日本生活小知识”这一关于日本文化和习俗的解说页。接下来介绍其中的一部分。
这次给大家介绍日本的纸币与硬币、询问价格、招财猫、鲷鱼烧、炸土豆饼、饭团、电子货币。
◆日本の紙幣/貨幣 / 日本的纸币 / 硬币
日本で現在使われているお金は、
紙幣(お札):一万円札、五千円札、二千円札、千円札
貨幣(硬貨):500円玉、100円玉、50円玉、10円玉、5円玉、1円玉
があります。
目前,在日本使用的现金为
纸币:10,000日元、5,000日元、2,000日元、1,000日元
硬币:500日元、100日元、50日元、10日元、5日元、1日元。
▲紙幣の刷新/肖像画の人物 / 新版纸币的发行 / 肖像画的人物
紙幣は、2024年に刷新され、新しいお札になることが発表されています。新しい紙幣では、ホログラムによる3Dなども使われる予定です。紙幣には昔の人物の肖像が描かれていますが、2020年現在の紙幣に使われているのは次の人たちです。
日本政府已发布消息称,将于2024年发行新版纸币。新版纸币上预计将使用全息投影3D技术等。纸币上印有历史人物的肖像,2020年的纸币上使用的是以下这些人物的肖像。
◆2024年までの紙幣 / 2024年以前的纸币
一万円札:福沢諭吉(1834-1901)=教育者、学者。慶応大学の創立者で、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」というフレーズで有名な『学問のすゝめ』を書いた。
五千円札:樋口一葉(1872-1896)=作家・歌人。『たけくらべ』『にごりえ』などの小説を書いた。
千円札:野口英世(1876-1928)=医師、細菌学者。黄熱病や梅毒の研究で実績を残した。
10,000日元纸币:福泽谕吉(1834年-1901年)——教育家、学者。庆应大学的创立者,著有因“天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず(天不生人上之人,也不生人下之人)”这一思想而闻名的《劝学篇》。
5,000日元纸币:樋口一叶(1872年-1896年)——作家、歌人。著有《青梅竹马》《浊流》等小说。
1,000日元纸币:野口英世(1876年-1928年)——医生、细菌学家。在黄热病及梅毒的研究方面有显著成绩。
◆2024年からの紙幣 / 2024年以后的纸币
一万円札:渋沢栄一(1840-1931)=「近代日本経済の父」とも言われる実業家。日本初の銀行をつくった。
五千円札:津田梅子(1864-1929)=津田塾大学の創立者で、日本の女子教育のパイオニア。
千円札:北里柴三郎(1853-1931)=ペスト菌を発見したり、破傷風の治療法を開発したりした医学者。
10,000日元纸币:涩泽荣一(1840年-1931年)——被称为“近代日本经济之父”的企业家。创建了日本第一家银行。
5,000日元纸币:津田梅子(1864年-1929年)——津田塾大学的创立者,日本女性教育的先驱。
1,000日元纸币:北里柴三郎(1853年-1931年)——医学家,发现芽孢杆菌,并开发出治疗破伤风的方法。
紙幣のうち、二千円札は、日常ではあまり使われていません。二千円札は2000年の沖縄サミットを記念して発行され、沖縄の首里城守礼門がデザインされています。しかし自動販売機であまり対応していないことなどから、あまり普及しませんでした。現在、沖縄ではときどき見ることもありますが、それ以外の地域では、ほとんど見かけません。
2,000日元的纸币在日常生活中并不常用。2,000日元纸币是为了纪念2000年的冲绳峰会而发行的,图案为冲绳的首里城守礼门。由于无法在自动贩卖机上使用等原因,普及程度并不高。目前,除了在冲绳偶尔能够看到之外,在其他地区几乎见不到。
▲硬貨 / 硬币
日本の貨幣の中で、5円玉と50円玉には穴が開いています。これは世界のコインの中でも比較的めずらしいので、お土産にする外国人観光客もいるそうです。「5円」は「ご縁」につながることから縁起がいいとされ、神社のお賽銭などにも使われることがあります。また5円玉は貨幣の中で唯一、アラビア数字が書かれていません。表も裏も「五円」と漢字だけで書かれています。
5円玉と1円玉は、自動販売機では使うことができません。無理に入れると機械が壊れてしまう可能性もありますので、注意してください。
なお500円玉も、2021年から新しくなり、2色の硬貨になります。
日本的硬币中,5日元和50日元的硬币上带有圆孔。这在全球的硬币中都属于比较罕见的情况,因此有的外国游客会将其作为纪念品带回家。“5円(5日元)”与日语中“ご縁(缘分)”的发音相同,被视为吉祥的象征,在神社投钱时常被用到。此外,5日元还是硬币中唯一一个没有标明阿拉伯数字的硬币。正反两面都只用汉字标有“五円”。
5日元硬币和1日元硬币均无法在自动贩卖机上使用。强行投币的话,有可能导致机器故障,请多加注意。
此外,500日元硬币将于2021年推出新版,变成有两种颜色的硬币。
◆値段を聞く / 询问价格
みなさんの国では、買い物をするとき、値段をたずねる必要がありますか?日本では、店で買い物をする場合、値段がつけられていることがほとんどです。普通は商品をよく見れば、値段のシールが貼ってあったり、陳列場所に値段が書いてあったりすることが多いと思います。値段を交渉して安くしてもらうことも、家電量販店以外はほとんど行いません。
ただし、本文にあったような、フリーマーケットや農家の直接販売、個人で経営する店などでは、値段がついていないこともありますし、ついていてもわかりにくかったりする場合も多いと思います。100円ショップには、日常で必要となるもののほとんどがそろっています。
数字を聞いてわからないときは、書いてもらったり、スマホの電卓に数字を入れてもらったりする方法もあるでしょう。
在你的国家,购物时需要询问价格吗?在日本,如果是去店里购物,则基本都会标明价格。仔细观察商品,一般都能看到上面贴有价签,或者在货架上写有价格。除了家电商城之外,几乎没有讨价还价的余地。
但是,正如正文中写到的,在二手市场、农家直销店或个体经营的店铺等,也有未标明价格的情况,或即便标明了价格,也很难懂的情况。
如果听不懂数字,可以让店员写下来或者用手机上的计算器打出来。
◆招き猫 / 招财猫
招き猫は、ネコの形をした置物です。前足を上げて、人を招くジェスチャーをしていることから、人をたくさん呼んだり、幸運をもたらしたりするとされています。このことから、縁起がいいプレゼントとして、特に店の開店祝いなどに贈られることがあります。小さい物は、縁起がよくて見た目もかわいいマスコットとして、外国人の日本土産としても人気があります。
招财猫是一种猫咪形状的摆件。因其前脚抬起,摆出向人招手的姿势,而被认为能够招揽客人,带来幸运。也正因如此,招财猫被视为吉祥的象征,尤其是在庆祝店铺开业时会被用作贺礼。小型的招财猫因其寓意吉祥,外观可爱,而成为颇受外国游客欢迎的日本纪念品。
◆たい焼き / 鲷鱼烧
たい焼きは、小麦粉の生地にあんこを入れて焼いたお菓子です。魚の鯛の形をした金属製の型に入れて焼き、できあがりも鯛の形をしているところから、「鯛焼き」という名前がついています。伝統的なたい焼きは中にあんこが入っていますが、最近ではチョコレートやカスタードクリームなどを入れたたい焼きも売られています。
鲷鱼烧是一种用面粉做皮,包有红豆馅的点心。因为是放在鲷鱼形状的金属模具中烤制而成,整个点心也呈鲷鱼形状,所以被命名为“鲷鱼烧”。传统的鲷鱼烧使用的是红豆馅,但最近也开始出现巧克力馅或卡仕达酱馅的鲷鱼烧。
◆コロッケ / 炸土豆饼
コロッケは、ジャガイモをゆでて潰し、ひき肉やタマネギを混ぜ、パン粉の衣をつけて油で揚げた料理です。ジャガイモの代わりにホワイトソースやベシャメルソースを使った「クリームコロッケ」もあります。ヨーロッパのクロケットという料理が明治時代に伝わり、日本で今の形になったと言われています。
コロッケはスーパーのお惣菜コーナーや、肉屋の揚げ物コーナーなどで安く売られていて、おかずとして気軽に買うことができます。また冷凍食品としても売られていて、お弁当の人気メニューになっています。
ジャガイモを使わないでひき肉を使って作ったものは、メンチカツといいます。メンチカツは、コロッケといっしょに売られていることが多く、やはり惣菜の定番メニューと言えます。
コロッケ、メンチカツは、食べるときは「ソース」をかけて食べるのが一般的です。
炸土豆饼是一种将煮过的土豆碾碎,然后与肉馅、洋葱等混合,最后裹上面包粉,用油炸制而成的菜肴。也有用白沙司或调味酱代替土豆用作内馅的“奶油可乐饼”。据说炸土豆饼的原型是明治时代从欧洲传入日本的一种名为croquette的菜肴,后来才逐渐演变为现在的形状。
炸土豆饼在超市的熟食区或肉店的油炸食品区等处都能以很便宜的价格买到,是一种方便实惠的配菜。此外,也有冷冻的炸土豆饼等销售,是很适合放入盒饭里的一道菜。
不使用土豆,只用肉馅制作的,叫作“メンチカツ(炸肉饼)”。炸肉饼常与炸土豆饼等放在一起销售,可以说也是一道经典配菜。
吃炸土豆饼、炸肉饼的时候,一般会浇上酱汁。
◆おにぎり / 饭团
おにぎりは、ご飯の中に具を入れ、三角形に固めて、のりで巻いて作ります。「おむすび」と呼ばれることもあります。地方によっては、三角形ではなく俵形に作る場合もあります。白米ではなく赤飯や炊き込みご飯を使って作ったおにぎりには、のりを巻かないこともあります。
おにぎりは、コンビニでも売られています。コンビニのおにぎりの具は、梅、昆布、鮭、たらこ、ツナなどのシンプルなものから、「牛すき焼き」「イクラしょうゆ漬け」など豪華なものもあります。また、おにぎりの専門店もあり、ショーケースにはたくさんの種類のおにぎりが並んでいます。専門店でおにぎりを買うときは、本文にあったように、種類と個数を言って買います。
おにぎりは自分でも簡単に作れます。100円ショップやスーパーなどには、おにぎりを作るための型も売っていますので、これを使うと、握らないで簡単におにぎりを作ることができます。
饭团是一种在米饭中放入馅料,然后捏成三角形,再裹上海苔的食品。有时也被称为“おむすび”。根据地区不同,有时不是三角形,而是圆柱形。使用红豆饭或菜饭代替白米饭时,可能不会在外面裹上海苔。
饭团在便利店中也能买到。便利店的饭团,除了有梅子、海带、三文鱼、鳕鱼子、金枪鱼等常见口味外,还有“牛肉寿喜烧”“腌金枪鱼籽”等比较高级的口味。此外,还有专门销售饭团的店铺,玻璃柜台里摆满了各种各样口味的饭团。在专卖店里购买饭团时,需要向正文中那样,告诉店员需要的种类和个数,然后购买。
自己在家也可以简单制作饭团。百元店或超市里有制作饭团用的模具,使用模具的话,不用手捏也能简单地制作饭团。
◆電子マネー / 电子货币
日本では長年、現金による支払いが中心でした。ほかの国と比べて、日本では現金以外のキャッシュレス決済の比率は低く、一般の店ではクレジットカードが使えず、現金しか使えないことも普通です。日本では現金を持ち歩いてもあまり危険がないことや、偽札がほとんどないことなどが、理由として言われています。
しかし、最近ではようやくキャッシュレス決済も増えてきました。クレジットカードだけではなく、電子マネーによる決済が普及してきました。日本の電子マネーには、次のようなものがあります。
日本很长一段时间都是以现金支付为主。与其他国家相比,日本的无现金支付比例较低,很多店铺无法使用信用卡,只能用现金支付。究其原因,据说是因为在日本随身携带现金也很安全,而且几乎没有假钞。
但是,最近无现金支付终于越来越普及了。不仅是信用卡,使用电子货币进行支付的情况也越来越常见。日本的电子货币有以下几种。
▲交通系ICカード / 交通IC卡
もともとは、切符を買わないで電車やバスに乗れるように、改札にタッチして運賃を支払うカードです。しかし、交通機関を利用するだけではなく、コンビニや店などで広く使えるので、日常的な電子マネーとして普及しています。使うときは、レジの機械にカードをタッチします。「Suica」「ICOCA」「PASMO」などがあります。
它原本是一种用于支付车费的卡片,只需在读卡机上刷卡,便可以乘坐电车或巴士,无需购买车票。但是后来,由于其不仅能够在公共交通工具上使用,也可以在便利店或商店等地方广泛使用,而逐渐作为一种日常的电子货币支付手段普及开来。使用时,在收银台的机器上刷卡。有“Suica”“ICOCA”“PASMO”等。
▲流通系ICカード / 流通型IC卡
スーパーやコンビニなどで使うためのカードがもとになった電子マネーです。「楽天Edy」「WAON」「nanaco」などがあります。これも、使うときは、レジの機械にカードをタッチします。
它是一种电子货币,最初在超市或便利店等地方使用。有“楽天Edy”“WAON”“nanaco”等。使用这种卡片时,也是在收银台的机器上刷卡。
◆QRコード決済 / 二维码支付
店にあるQRコードをスマホアプリで読み取って支払う方法の電子マネーです。「PayPay」「LINE Pay」などがあります。コンビニで払う場合は、スマホアプリでバーコードを表示し、コンビニレジの機械で読み取ってもらいます。
用手机读取店内的二维码,然后进行支付的电子货币。有“PayPay”“LINE Pay”等。在便利店进行支付时,用手机出示条形码,然后使用便利店的机器读取。
以上のように、日本の電子マネーは現在(2020年)、いろいろな会社のいろいろな方式がたくさんあって、混在している状態です。
なお、現在でも、特に地方では、現金しか使えない店がたくさんあります。日本では、いつもある程度の現金を持ち歩くようにすると安心です。
以上便是日本电子货币的现状(2020年),提供服务的公司和支付方法多种多样,略显混乱。
不过,即使是现在,很多店铺仍然仅接受现金支付,尤其是在地方城市。在日本,外出时还是随身携带一定金额的现金比较放心。
Ⓒthe Japan Foundation
如今,中国国内的便利店也随处可见饭团的身影,其口味与日本的稍有不同。大家最喜欢的饭团口味是什么呢?
★『いろどり』入門の該当課
第十六課 これ、いくらですか?
1.1980円です
2.あのTシャツ、いくらですか?
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#『いろどり』日本生活TIPS 35:~ 这个多少钱 ?~# 日本国际交流基金会推出了新教材《いろどり:生活中的日语》。该教材主要面向在日本工作、生活的人群。通过该教材,大家可以学习到贴合现实生活的日语,并应用于实践。关于本教材文字内容和音频,可通过以下网址全部免费下载→
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#日本研究之窗——系列讲座(电影) 第四讲:新海诚的唯美世界:原风景、情感和世界观# 我们精心安排了“日本研究之窗”系列讲座,希望通过此次不受空间距离限制的活动,能够让更多的朋友们从中感受到日本文化以及日本研究的魅力。【第四讲:新海诚的唯美世界:原风景、情感和世界观 美国麻省桥水州立大学访问学者 吴咏梅】→
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我们精心安排了“日本研究之窗”系列讲座,希望通过此次不受空间距离限制的活动,能够让更多的朋友们从中感受到日本文化以及日本研究的魅力。
第四讲:新海诚的唯美世界:原风景、情感和世界观
吴咏梅,2001年取得香港大学文学院哲学博士学位,2010年前任北京外国语大学北京日本学研究中心社会经济专业副教授。2010年-2013年为香港大学现代语言文化学院博士后研究员。2013年-2019年香港大学现代语言文化学院荣誉副教授。2017年9月至今任美国麻省桥水州立大学(Bridgewater State University)亚洲研究项目、人类学系和全球语言文学系访问学者,从事近代日本对华广告活动与文化宣传的研究,并讲授“亚洲人类学”、“亚洲流行音乐”、“初级汉语”、 “从电影看亚洲流行文化”、“从电影看日本文化”和“日本流行文化:动漫”等课程。研究范围包括大中华地区的日本流行文化、日本广告与消费文化、中国和日本的老龄化问题、性別研究和家庭婚姻问题、广告中的女性形象等。主要著作有:《日本電影》(2011)、The Care of the Elderly in Japan(2004,2009)、《越境的日本流行文化》(合著,2010)、『拡散するサブ・カルチャー』(合编,2010)、《日本流行文化在东亚》(合著,2010)、『モダニティを売る:1920–30年代上海における「月份牌」と雑誌広告に見る主婦の表像』(《销售现代性:1920–30年代上海的月份牌广告及杂志广告中的主妇形象》)(2012)、”Selling Modernity: Housewives as Portrayed in Yuefenpai (Calendar Posters) and Magazine Advertisements in Shanghai of the 1920s and 1930s” (Asian Women and Intimate Work,2013)、《图像与消费文化:分析中国近代广告》(2014)、“Colonial Modernity, Beauty, Health and Hygiene: Centering on Japanese Cosmetics, Cleaning Supplies and Medicine Advertisements on Shengjing Shibao (Shengjing Times)”(The East Asian Modern Girl,2021)等。
2007年3月3日,新海诚自编自导的写实爱情动画电影《秒速五厘米》上映,该片获得了亚洲太平洋电影节最佳动画电影奖。影片以少年远野贵树及其心仪的少女篠原明里为中心而展开3个连续的独立故事,时代背景是从贵树和明里因父亲的调职而来到东京的小学上学的1990年代,至贵树从鹿儿岛的高中考上东京的大学,并在大学毕业后留在东京工作,过着空虚而忙碌的生活的2007年-2008年的现代日本,主要通过贵树成长的人生轨迹来展现东京以及栃木县和鹿儿岛等地区的变迁。这部影片将少年时的懵懂爱情和最终一声叹息的缺憾结局糅合在一起,表达了年少时那段再美好的青涩爱情都会随着时间的流逝和空间距离的相隔而变淡的失落感,一切的美好只存在偶然浮起的记忆中。这部影片与《星之声》、《云之彼端,约定的地方》一起成为新海诚表达爱情因人与人之间的心灵距离或时空的距离而不能成就时的遗憾失落这一主题的代表作。
在经历通过《追逐繁星的孩子》一片对影片类型创作和世界观的开拓、商业化电影制作做过新的尝试后,新海诚回归到自己擅长的青少年男女情感题材,于2013年创作了爱情动画短片《言叶之庭》,表现15岁的高中生少年秋月孝雄在梅雨季节的新宿御苑,与27岁的女古文教师雪野百香里相遇,被她就着啤酒吃巧克力的样子和寂寥神情所吸引,继而爱上她的故事。影片以美到令人窒息的风景描写、高潮时表达情绪的对雨的刻画和音乐的运用,来表现在社会上找不到个人存在的两个人,在雨日的新宿御苑交流困顿、互相取暖,以疗愈郁闷的心情和孤独哀痛的内心,是一部突出新海导演个性感受的作品。该片获得了斯图加特国际动画电影节长篇部门最优秀奖。
2016年8月26日,由新海诚亲自撰写剧本并担任导演、神木隆之介和上白石萌音担任主要配音、具有奇幻色彩的、描写少男少女跨时空爱恋故事的动画电影《你的名字》上映,在全球89个国家和地区公映,超越宫崎骏的《千与千寻》,成为全球最卖座的日本动画电影,取得巨大商业成功,也在全球掀起了一股纯爱风潮。该片讲述了女主人公宫水三叶是个出身神社世家的高中女孩,与外婆一叶和妹妹四叶一起在乡下的系守小镇生活。那是个连咖啡店也没有的小镇,枯燥单调的生活让三叶憧憬变成一个生活在繁华的大都会东京的男孩子。而男主角立花泷恰巧是一名东京高中生,平时在一家意大利餐馆打工,暗恋着在同一餐馆打工的奥寺学姐。某日,素未谋面的三叶和泷因不可思议的命运羁绊而在睡梦中经历了身体互换、继而在不断互换身体和交流的过程中,发展出一段穿越时空的爱情,并改变历史拯救小镇的故事。新海诚凭借该片获得了第40届日本电影学院奖最佳编剧奖、第26届日本电影评论家大奖最佳导演奖和第29届东京国际电影节感谢奖。同年11月下旬,《你的名字》在中国北京首映,新海诚应邀首次来华出席首映礼,除了在中国传媒大学举办了电影发布会,宣传自己的动画新作,他还与学生近距离交流,分享自己从事动画电影制作以来的心路历程,并接受了中央电视台电影频道的采访。
2019年7月19日,由新海诚编剧和执导、Comix Wave Film负责制作的动画长片《天气之子》在日本公映,之后在全球140个国家和地区公映。这是新海诚继《你的名字》后时隔三年的又一部动画。该片将世界气候变化和青春期少男少女的初恋结合在一起,讲述了从伊豆群岛的神津岛离家出走、独自一人来到东京谋生的16岁高一少年森岛帆高,与拥有让天气放晴的奇妙能力的晴天少女天野阳菜之间的奇幻爱情故事。与以往唯美刻画思春期少男少女的纯爱世界不同,该影片融入了社会阶层的不平等、暴力、色情业、权力和犯罪等黑暗题材,有意识地用光影打造肮脏的街道、荒废的大楼、地下室的明暗,以突出大都市的灰暗。在描写主人公的行为时,也涉及到持枪、飙车、未成年人入住情人旅馆等与法律和伦理相悖的行动,甚至还有大众把具有“晴女”能力的少女当作商品来消费的内容。因此,可以说这是一部少见的描写东京这个现代大都市社会现实的写实动画片。虽然《天气之子》的成就未能超越《你的名字》,但是它仍然以精美的动画、有张力的叙事和优美的音乐,获得票房成功,不仅获得第44届报知电影奖最佳动画影片奖,还取得了代表日本角逐第92届奥斯卡最佳国际影片奖和第44届多伦多国际影展特別放映影片的资格。
一、新海诚笔下的原风景
作为出生于上世纪七十年代的第二次婴儿潮一代(団塊ジュニア世代)的一员,新海诚在1990年~2000年这个个人电脑和互联网飞速发展的时期进入大学和社会,善于运用数字的力量进行个性化创作,直接在作品中传达个人的细腻感受。他所创造的动画风格被称作“新海世界”,以精致唯美的风景描写为特征。而他的作品则被誉为“数字时代的影像文学”,特点是其影像具有数字绘画特有的细腻、光影和鲜艳色彩。离去和到站的电车、车站检票处和月台、起落杆升起的铁道交叉口、東京和乡间的电车站、乡间的田园风光、神社的鸟居、广袤的云海、映射在玻璃窗上的夕阳、璀璨的星空、清澄的圆月、飘落的雪花、宁静的池塘、珠帘般的雨丝、落在湖面上激起一圈圈涟漪的雨滴、星移斗转的季节更替、飞舞的樱花、南飞的大雁、可爱的小动物……新海动画片中的每一幅画面都美得可以做壁纸。也就是说新海诚善于以绚丽的2D动画效果,展示美丽的风景描写和逼真到几乎与实拍一样的背景描写,给人一种美的令人赞叹的感官震撼的同时,也通过这样的景物描写来疗愈人内心的烦恼和孤寂,并让人感受作品中人物形象的内心世界。
蓝天、云朵、夕阳、晚霞、星空、樱花、雨雪、电车、铁路线和铁道交叉口、城市的灯火和都市全景,是新海诚风景描写最钟爱的元素。《你的名字》中三叶居住的、剧中设定为岐阜飞騨市的山村小镇系守町的街景、石头地基的住宅、学校、宫水神社、两小时一班车的铁道交叉口、彗星拖着尾焰划过晴空、四季景色变换的系守湖、外婆一叶带着三叶和四叶去祭拜供奉着宫水神社的神灵的御神体时一路经过的山林等等,实际上都取材于新海诚的出生之地长野县諏訪市小海镇周边的景物。长野县小海镇拥有着翠绿的山林和稻田、白云缭绕的山岳、湖水清澈的高山湖諏訪湖和松原湖、秀丽的千曲川河、奔驰在山间高原上的小海线……新海诚曾在一次采访时表示,自己长大的地方是一个海拔1000米以上的山间小镇,周围有八岳等高山,风很强劲,天空的“表情”也很丰富。国立天文台野边山宇宙观测所离家很近,从那儿看星星很漂亮,乡下没有其他可远望的东西,所以自己几乎每天要看一两小时的天空,然后用水彩将它画下来。在充满烦恼的青春期,美丽的自然风景就是疗愈自己、拯救自己和鼓励自己的良方,故乡信州的这些从小就铭刻在他心中的美丽的原风景,成为一种随时可以抽取的“童年记忆”,化作了他作品中治愈人的绚丽风景。
作为一个因憧憬大都会东京而在高中毕业后来到这里上大学、毕业后继续留在这座城市打拼的独立奋斗者,新海诚非常擅长在自己的作品中,营造或还原现代化大都市东京的美感,把都市人平时在便利店买东西、乘坐电车、进出检票口等日常生活中很普通的行为,当作是美好的事物或令人憧憬的东西,在影像中加以描绘。所以他动画电影的背景画,常常是东京NTT Docomo代代木大厦和西新宿的摩天大楼或普通建筑、咖啡店、便利店、自动贩卖机、网吧、餐馆、小田急线或埼京线等电车线路、地铁站台、交叉口的信号、行人天桥、公寓、新宿和涩谷的商业街道、六本木新城展望台上的夜空等现代感十足、别具一种都市美感的场景。亦或是在教室里上课聊天、参加学校俱乐部活动、在餐馆打工、在家里做饭做便当、从自动贩卖机买饮料、就着啤酒吃巧克力、穿着浴衣参加夏日祭典和看烟花等等看起来非常贴近日本年轻人的日常生活的场景。这些背景画,几乎所有的场景都取材自生活实景,运用了背景“摹片”的技术,很少是新海诚凭空构想出来的。也就是说新海诚为了让观众在动画中找到如同实景的现实感和逼真感,经常和作画导演等制作人员在东京和各地采外景,随手拍下大量照片,然后通过PS、AE等软件进行渲染、调色和美化,做成可媲美真实照片的画面。
无论是唯美写实的风景和逼真的背景描写,还是对年轻人日常生活的忠实刻画,在我眼中都属于一种“原风景”的描写。新海诚在他的两部超百亿高票房动画电影《你的名字》和《天气之子》中,用他的“逼真的写实主义”(verisimilar realism,这里指新海诚动画作品的背景几乎完全依据现实的场景创作而成)的动画风格和奇幻浪漫的故事,打造和再现了东京的城市之美。这产生了两个效果:一是让居住在这座城市的人们有一次重新审视东京的机会,让他们发现在自己的日常生活中,还有那么多没被发现的普通却美丽的角落。二是观众在看电影的时候,知道那里面发生的故事是虚构的,但是当他们在电影里看到自己每天走过的街头、乘坐的电车、用餐的地方,他们会觉得主人公身上发生的事情,也许会发生在现实生活中或自己身上,也会对那些人和地方、事物产生一种亲近感。这种现实和想象的联动,激活了从小看动漫长大或新海诚国际粉丝的90后、00后御宅族的热情,也掀起了他们前往新海诚动画电影的现实取景地(被称为“圣地”)旅游打卡的“圣地巡礼”热潮。新海诚热衷于描绘东京,他的“圣地巡礼”的路线也主要集中在东京。
二、青春期少年少女的纯爱:新海诚动画电影的情感世界
在主题方面,新海诚所创作的动画电影都是以少年少女的青春、爱情和成长为题材,在唯美的镜头语言和舒缓的节奏下,配以人物内心世界的独白和优美的配乐,诗意般地描述了少男少女的异地恋、暗恋、跨越时空的爱情等爱恋形态以及关乎友情和未来等或大或小的事情,细腻地呈现了都市社会中青春期年轻人混杂着伤感、孤寂、思念、彷徨、甜蜜、温暖和期盼的情感世界。
作为战后第二次婴儿潮一代的一员而出身于信州建筑业世家的独子,新海诚从小生活富裕,不愁吃穿,继承了母亲爱读书的喜好和擅于画画的天赋,也养成了一种文艺青年特有的气质。但是他在成长的过程中,需要面对日本社会因少子化而产生的个人原子化、人际关系疏离和社会无缘化的问题。同时七十年代以后动漫产业的发展和九十年代以后游戏产业、个人电脑和网络的发展,使得御宅族文化成为日本社会的主要亚文化,也使得人们对情感的追求、寄托和表达变得更加个体化和私人化。这一点我们可以从新海诚作品中细腻的个性化情感表达感受得到:他常常在塑造主人公时投射自己的影子,用独白的方式倾诉个人情感,来表达自己的爱恋无法传递给对方时的无助空虚和长久等候无果时的孤独和失落的情绪。虽然新海诚在成名后的访谈中并没有曝露自己的人生中所经历的情感道路,但是我们从他的处女作《星之声》(2002)到最新作《天气之子》(2019)这近二十年间他所创作的爱情故事中,可以窥见他作为一个年少时就离开家乡独自去现代化大都市东京闯荡的技术宅男所走过的心路轨迹。
可以说《秒速5厘米》是新海诚为了纪念过去的恋情而制作的动画片。该片主要描写远野贵树与小学时青梅竹马的女同学篠原明里之间,从初中到二十出头刚走上工作岗位的青春懵懂时期长达十三年的初恋或暗恋。影片结尾处,贵树和明里在铁路的两端相对走去,擦肩而过,呼啸而过的电车隔断了两人的视线,将两人的距离越隔越远。电车驶过,贵树回头望着已经无人的那头,终于明白明里根本没有回头等待过,他和明里之间横亘着的13年漫长的时间和人生,早就使两人之间的心的距离不可触及了。他随着樱花的飘落,露出释怀的笑容,彻底放下了那段感情,做出了“放下一切,向前走”的决定。结尾处的铁道交叉口和疾驶而过的电车,对于贵树和新海诚来说更像是一个确认自己已经放下过去、重新出发,真正长大成人的仪式。影片表达了无论年少时期的他对少女时代的女主有多么地恋慕,随着异地恋时间的推移及各自人生轨迹、思想的变化,两个人终究会像行驶在平行的铁轨上交叉而过的电车,渐行渐远。但是青春期暗暗钟情于某人,并为他/她纠结苦恼、茶饭不思的单纯初恋之情,常常会在成年后浮现出来,成为一种美好的怀恋。
新海诚在《追逐繁星的孩子》一片中寻求开拓奇幻类影片题材和商业化制片失败后,他决心回到自己擅长的青春爱情题材的创作。随着他步入成人化的恋爱和婚姻,虽然我们继续可以在《言叶之庭》里在东京孤独奋斗的中学女教师雪野、《你的名字》中憧憬离开家乡小镇、变身为男子去东京过独立生活的三叶、《天气之子》中从小到离家出走来到东京打工谋生的帆高和曾为爱奋不顾身、抗拒成长、日子过得浑浑噩噩但依然有着一颗少年之心的中年大叔须贺圭介身上看到新海诚的影子,但是他在这三部作品中描写的爱情明显不再是青春懵懂时期的单相思,而涉及更为成熟的姐弟恋和师生恋之类的成年人类型的恋爱,以及包括身体接触、彼此之间寻求亲密、互动交流甚至冲突、讨论社会问题等元素。例如,在保守的日本社会,师生恋是禁忌之爱,但是1990年代开始流行的日本偶像剧,把这一恋爱类型和诸如姐弟恋、女倒追男、有身份差异的恋爱等模式定型为人们可以效仿的恋爱模式之后,师生恋成为了影视剧热衷描绘的主题。在《言叶之庭》中,新海诚也把这个题材兼姐弟恋的主题放进电影,运用雨和鞋作为媒介,来讲述距离、亲密和成长的故事。但是,《言叶之庭》完完全全是一个开放式的圆满结局,提醒观众:当爱情面临现实的年龄或身份的差距考验时,或许不是每段感情都能走向幸福的结局,但如果没有勇气跨出第一步去表白并努力去缩短两人之间的距离的话,又怎么会有雨过天晴的幸福呢?只要是真爱,只要是双方共同努力,年龄、身份和距离都不是问题。
《你的名字》讲述的通过奇妙的身体互换而深度介入对方人生的爱情。在这个故事里,新海诚终于摆脱了单相思、异地恋的悲苦,构想了一个相遇相知,互相牵挂,携手改变命运,就算记忆归零还是能在某个樱花盛开的春日,在小巷中迎来一场命中注定之邂逅的圆满结局。而《天气之子》可以说是《你的名字》的姐妹篇,以离家出走的高中生帆高和丧母后独力抚养弟弟的少女阳菜之间的互相取暖、矢志不渝的爱情故事为主要情节。在影片里,新海诚要表达的是“只要有爱,世界与我何干”的爱情观:真爱应该是那种可以为了对方奋不顾身、即使与世界为敌,也会选择在你身边守护你的爱情。这正是少年人向往的爱情至上的理想。可以说十年前的新海诚,是在其作品中画出青春时期未能成就的爱的回忆来让人回味。十年后的新海诚,是画出纯爱的希望让人去做梦和期待。
为了在其作品中缔造一个充满诗意的情感世界,新海诚把他小时候和大学时代培养起来的日本文学的素养运用到了动画电影的创作当中,他不仅从《古事记》和《万叶集》、《古今和歌集》等古典文学中寻找故事创作的灵感,而且从他所喜爱的村上春树的小说中吸取营养,形成了用第一人称的内心独白来私人化地表达人物孤独、迷茫和丧失等情感的独特的叙事方法,和以风景来寄情、用独具情绪张力的动漫主题曲及配乐来治愈人心的映像风格。
我个人觉得新海诚的动画电影的风格和青春爱情的叙事手法以及清新隽永的音乐铺陈,是与上世纪九十年代初期日本富士电视台制作的《爱的回旋曲》、《东京爱情故事》和《第101次求婚》等表现生活在东京的年轻人的情感纠葛的“90年代纯爱三部曲”、被誉为日本新电影运动旗手的岩井俊二于1990年代中期起推出的《情书》《四月物语》《花与爱丽丝》等主要描绘唯美动人的青涩初恋/暗恋、错过和不可得的纯爱青春片、以及千禧年以后行定勋、土井裕泰、今井夏木等新锐导演拍摄的通过赞美青春的美好、不涉及任何性欲、物质和阶层的纯粹爱情、以恬静、含蓄温暖而又忧伤的情感,深深抚平了泡沫经济破灭后失去自信的日本人的《在世界的中心呼唤爱》、《藉着雨点说爱你》和《恋空》等纯爱电影是一脉相承的。用一段令人难以忘怀的初恋、用内心的独白来表达个人的情感世界,用唯美纯净的画面和抒情优美的音乐治愈城市人的丧失和孤独,新海诚的这种影像文学的动画风格,叩响了全世界有着相同情感经历和心路历程的广大90后、00后的都市年轻人的心扉,更抚慰了当今“宅时代”常常感到寂寞和孤独的都市青年的心灵。
三、新海诚动画作品的世界观
在世界观方面,与宫崎骏常常把故事的背景放在乡村,结合西方的童话故事和日本神道教中的万物有灵论、人与自然/神明和谐相处和除去污秽使内心净化的思想,表达对现代文明的抵触及其秉持强烈的环保主义立场和反战理念等宏大叙事的世界观不同,新海诚则立足于现实,擅长用个性化情感表达的动画风格,描绘后现代都市社会中少男少女的感情世界及成长过程中的心路历程。
有人说新海诚的作品格局小,多着眼于少男少女的小情小爱。他也曾表示被称为“新宫崎骏”、“宫崎骏接班人”实则过誉,直言自己与宫崎骏有世代和价值观的差异,做不出像吉卜力动画电影那样主题深邃、故事恢宏、鼓舞人心的作品,作为一个创作者,更重要的是做只有自己才能做出来的、抚慰思春期少年的纤弱内心,并为他们提供勇敢生活下去的动力的作品。从《追逐繁星的孩子》之后的《你的名字》和《天气之子》这两部作品中,我们可以明显看到新海诚对其世界观的开拓:他不再局限于“失落”和“孤单”的议题,而是开始探讨人与人之间的联系和纽带的主题,回归到日本传统文化,从神道教和民间神话传说中去寻找两个陌生人注定相遇的纽带是什么、怎样可以改变人的未来命运等问题的答案。例如,《你的名字》中新海诚着重探讨了日本神道教中的“结(musubi)”的概念。神道教非常强调在大自然生产生命的巨大力量和能源。这种孕育生命能源的概念被称为“结”,意思是在神明、大自然和祖先灵魂等神灵的神圣保护下,生命和灵性得以产生和成长。因此“结”全面涵盖了生命和能源的创造、生育能力、与人的团结、繁荣以及与人与人之间或人与事物的联系等概念。天地万物的生成、发展、完成都是在“结”这种超越时空的力量的作用下得以进行的。在影片中,新海诚使用“结”这个概念,和与此相关的神明的力量、用宫水家传统的编绳工艺“组纽”织成的连接泷和三叶的红线绳结、三叶作为巫女传人和妹妹在祭祀神灵跳舞时咀嚼饭团做成的口嚼酒、人魔相逢的黄昏时分、彗星等符号把大都市东京与山中小镇系守町、现代与传统、少男与少女连接在一起,讲述了一个逻辑合理、设置完整、情节奇幻美好、男女主人公追求互动交流、不再痴缠于小儿女之间的情爱,而是以强烈的思念担负起穿越时空、拯救世界重任的有“人情味”的故事。我们也从中看出,新海诚经过近二十年的创作努力,走过不同的人生阶段,开始转向日本传统文化,从中寻找人与人之间无法隔断的纽带到底是什么的根源。
而且,他开始把2011年3月11日发生的东日本大地震及引起的海啸自然灾难、地球温暖化造成的气候异常、以及当下日本出现的诸如青少年离家出走、少年犯罪、贫困问题、单亲家庭、孤儿问题、风俗行业的低龄化等社会问题纳入反思和探讨的话题。这显示了新海诚对城市问题和社会问题的关注,也体现了他从《你的名字》以来的世界观的开拓。
结论
本文从唯美逼真的动画风格、少男少女的纯爱故事和从日本传统文化的源泉开拓其世界观等三方面,探讨了新海诚动画电影的特色,以及他的作品为何吸引世界上生活在大都市的广大90后、00后动漫迷的原因。
可以说新海诚的每部作品都有他自己的人生轨迹,都以唯美的世界、清新的爱情故事和贴近人生活的场景刻画了都市年轻人的心路历程,引起众多在城市里打拼、面临诸多生活压力仍需独立面对的年轻人的共鸣,也抚慰了他们孤独焦虑的心灵。
就像宫崎骏在40多岁时也创作《魔女宅急便》等关乎少女生长的作品,岩井俊二在30、40多岁的时候主要拍摄青春爱情片一样,人生的阅历是需要沉淀的。虽然新海诚的作品被评论为小情小爱小我、缺乏宏大的叙事和世界观,但是随着他从业经验和人生经历的丰富、国际交流的加强和向日本传统文化的追求,我们是能够期待他成长为具有其鲜明动画风格、叙事驾驭能力强、代表他的那个第二代婴儿潮世代的、可以真正成为宫崎骏接班人的杰出日本动画导演。
附录:新海诚创作的动画电影目录(带英文名)
2002年2月 《星之声》(ほしのこえ/The Voices of a Distant Star)
2004年11月 《云之彼端,约定的地方》(雲のむこう、約束の場所/The Place Promised in Our Early Days)
2007年3月 《秒速五厘米》(秒速5センチメートル/5 Centimeters Per Second)
2011年5月《追逐繁星的孩子》(星を追う子ども/ Children Who Chase Lost Voices )
2013年5月《言叶之庭》(言の葉の庭/The Garden of Words)
2016年8月《你的名字》(君の名は/Your Name。)
2019年7月《天气之子》(天気の子/Weathering with You)
参考文献:
“Your Name.”BoxOfficeMojo、2021年5月28日阅览:
https://www.boxofficemojo.com/title/tt5311514/
日本映画の歴代興行収入一覧:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%AE%E6%AD%B4%E4%BB%A3%E8%88%88%E8%A1%8C%E5%8F%8E%E5%85%A5%E4%B8%80%E8%A6%A7#%E6%97%A5%E6%9C%AC
“Spirited Away”,BoxOfficeMojo、2020年5月28日阅览:
https://www.boxofficemojo.com/title/tt0245429/
2016.12.05 “個人の気持ちと宇宙を結ぶ視線—新海誠監督の世界”:
https://www.nippon.com/ja/people/e00107/
计划每周四发布,敬请期待!
北京大學歷史系副教授 唐利國
主講人介紹:唐利國,1974年生。北京大學歷史學系博士,日本新潟大學博士。北京大學歷史學系副教授。研究方向為日本史、日本政治思想史。專著兩部:《武士道與日本的近代化轉型》,北京師範大學出版社,2010年;《兵學與儒學之間——論日本近代化先驅吉田松陰》,社會科學文獻出版社,2016年。
學界通常認為日本武士道論存在一個從山鹿素行到吉田松陰再到明治開國元勛的傳承系譜,其實這不過是井上哲次郎(1855-1944)為了塑造近代日本的國民認同,取捨剪裁,精心繪製的一個虛像:山鹿素行是江戶時代提倡武士道教育的集大成者,吉田松陰繼承了山鹿素行的教導,並通過教育松下村塾的子弟而傳續到明治時代,成為推進日本近代化的精神因素。
山鹿素行(1622-1685)吸收中國儒學而形成的武士道論實際上是其兵學即山鹿流兵學不可或缺的一部分。作為近世日本兵學的代表性流派,山鹿流兵學在儒學的強烈影響下形成了兼具政治學、倫理學的特徵,而並非像人們所經常誤解的那樣僅僅局限於軍事學。然而,本來作為山鹿流兵學的一個組成部分的武士道論,被井上刻意分離出來加以強調。
基於這一認識框架,戰前日本學界一般認為松陰對素行的武士道論是一種單純的繼承關係。但是這裏有一個顯而易見的矛盾:山鹿素行的武士道論是服務於幕藩制度穩定化的學説,為什麼其後學吉田松陰卻成為促使幕藩制度解體的先驅?
考慮到在日本近世除了山鹿素行所代表的深受中國儒學影響的居於主流的武士道論之外,還存在一種以《葉隱》為代表的反映了日本戰國時代的武士作風的武士道論,於是不少日本學者又另外建立了一個從《葉隱》到松陰的武士道傳承系譜。
日本著名政治思想史家丸山真男便認為,山鹿素行的武士道論適應了近世日本家產官僚制的進展,《葉隱》則是在幕藩體制的和平環境之下對戰國時代武士作風的意識形態總結;幕末政治狀況的變化,使得吉田松陰為代表的志士們復活了《葉隱》所代表的傳統武士精神。丸山寫道:“在吉田松陰那種典型的‘忘我’忠誠和主體性中,在他那絕對的皈依感情和強烈的實踐性的對立統一中,明顯地貫穿了《葉隱》裏的傳統意識。”
但不可忽視的是,松陰的武士道和《葉隱》的精神,在某些根本問題上其實存在着非常尖鋭的對立。《葉隱》提倡一種死亡美學,其最著名的主張是:“所謂武士道,就是死。面臨生死選擇之際,唯速求死而已。”而松陰卻主張:“私慾私心全無者,偷生不妨。有死而不朽之預見,可死;有生成大業之預見,可生。”兩者的差異如此明顯,以至於和辻哲郎、相良亨等均將其分別歸入兩種不同的類型。更重要的是,《葉隱》在明治以前基本上只限於在佐賀藩士這樣一個非常狹窄的範圍內流傳,並無史料顯示出身於長州藩的吉田松陰曾經受到過《葉隱》的影響。
其實,吉田松陰武士道精神源流的問題看似複雜,卻不過是近代以來從井上哲次郎到和辻哲郎等日本學者,削弱甚至否定中國儒學對日本的影響,從而製造出來的一個偽命題。
如果從歷史事實出發,不難發現吉田松陰的武士道論,與《葉隱》所代表的那種關注以死亡問題核心的戰鬥者個人倫理的武士道論不同,是一種重視作為統治者的倫理修養和政治技術的武士道論,其本來便是作為山鹿流兵學的一部分,繼承自山鹿素行,只是松陰適應幕末變局,在素行學説的延長線上,進行了一定的重新解釋和積極的實踐。
被井上哲次郎奉為日本武士道論經典的《武教小學》,本來便是山鹿流兵學的核心著作《武教全書》的一部分。被井上視為松陰武士道論代表作的《武教小學講錄》,本來便是其為親戚子弟講解素行的《武教全書》的筆記,原題為《武教全書講錄》。松陰講解兵學而闡發武士道論,原本是自然而然的事情。只是,假如承認這一點,就隱然形成了“中國儒學——山鹿流兵學——吉田松陰武士道論”的思想系譜,這是熱切希望挖掘日本獨特傳統的某些學者所不願承認的。這一潛在的學術外動機與近代性學科分化觀念的影響相互強化,使得井上哲次郎確立的認識框架至今仍未得到很好的反省。
然而,割裂武士道與兵學之關係的分析視角,不但導致了對松陰武士道之日本特殊性的過度強調,也導致對日本近世兵學的觀察失真,反而不利於全面認識日本傳統學問在近代轉型期的歷史意義。
在此視角的影響之下,討論武士道時不考慮兵學幾乎成為慣例,而對兵學的討論也往往忽視對武士道論的分析。近年在日本學界以對近世兵學的研究而知名的前田勉,便明確地將武士道論排除在自己對兵學的研究之外,直接以所謂儒學和兵學的對抗關係為前提,去考察“以兵學與朱子學為兩極而展開的近世日本思想史”。由於沒有認識到山鹿素行的武士道論本來便是山鹿流兵學不可或缺的一個組成部分,前田缺乏對近世日本兵學積極接受儒學影響的理解,將山鹿素行的學説單純地定性為德川時代“兵營國家”的支配思想,一味強調山鹿素行基於排除紀律違反者的軍隊統制論而形成了排除無用者的社會主張,認為其“批判朱子學的根源性理由是此排除無用者的邏輯”。
將近世兵學和武士道論割裂開來進行研究的結果便是,既無法認識到作為近世兵學之組成部分的武士道論的合理性側面,也無法認識到近世日本兵學的道德性追求。
只有認識到,山鹿素行的武士道論是其兵學的一個組成部分,才能夠真正理解作為近世兵學典型代表的山鹿流兵學乃是近世日本武士的綜合學問。素行立足兵學吸收儒學而形成的武士道論,與以《葉隱》為代表的強調非理性的“死亡美學”的日本武士傳統有着本質不同,旨在適應近世武士由戰鬥者向統治者轉變的時代需要,為其提供頗具理性主義的倫理教誨和政治指導。
以這種新型的武士道論為其重要內容的山鹿流兵學,積極地接受儒學的影響而發展為涵蓋倫理學、政治學等內容的綜合學問,絕非像今人所經常誤解的那樣僅僅局限於軍事學。山鹿素行批判日本固有的兵學道:“古今論兵之士,專為殺略戰陣,故兵法陷於一技之中。……士之業曰兵法。若不以兵法盡修身正心治國平天下之道,兵法者不足用也。”這裏的“士”即武士的責任已經不只是打勝仗,而是要通過個人修養和政治實踐來實現儒家理想的社會秩序。他聲稱孔子、孟子等“諸先聖先賢皆兵法之大家也”,面對孔孟等人並無兵書傳世的質疑,素行聲稱:“當世之四書、六經者,皆此(即兵書)也。”
山鹿素行的武士道論其實包括了君道論、臣道論和士道論三個部分。他不是僅僅強調下位者的服從道德,也很重視作為統治者的武士所應有的道德修養和統治技術。然而,井上哲次郎致力於構建以所謂武士道為核心的國民道德,只強調素行的“士道論”,因為其中要求效忠、服從等的內容比較多;而比較強調在政治思考與行動方面的主動性的“君道論”和“臣道論”,則被井上有意無意地忽略了。只有綜合考慮山鹿素行關於君道、臣道和士道的議論,才能夠完整地把握山鹿素行的武士道論兼容倫理學和政治學的性質。
素行強調,身為武士應該懂得“聖學之道理”,而且有很多知識需要學習:“其上於武門又多有大小之事。小事云者,至於衣類、食物、屋作、用具之用法,皆有武士之作法也。更有武藝之修習、武具馬具之製法用法。大者有天下之治平禮樂、國郡之制,山林、河海、田畠、寺社、四民、公事訴訟之處置,以及政道、兵法、軍法、陣法、營法、築城、戰法,此皆武將武士日用之業也。”與此同時,素行又強調:“然雖自己一身修得武門之學問,驗之實事而無功者,無聖學之理也……能知聖學之定規鑄型、入規矩準繩時,見事能通,聞事則明,則無論何事來時,既已明白思慮其種種,故逢事無屈。此為大丈夫之意氣。”素行所確立的山鹿流兵學,以儒學為根基,包羅萬象,可以説是近世武士的綜合學問。
明確了山鹿流兵學的綜合性,便不難理解其非但不會在西方的軍事優勢面前一觸即潰,反而能夠在某種程度上積極求新求變,從而在日本從近世向近代轉型的特定歷史時刻,極為吊詭地發揮了獨特的變革功能:體制重建的努力成為觸發體制變革的導火索,同時也限制了變革的深度和廣度。
作為山鹿流兵學傳人的吉田松陰,既沒有在西方壓倒性的軍事力量面前喪失信心,也沒有固步自封,能夠比較積極地接受新知,尋求變化。而松陰在家學修業過程中形成的把軍事問題作為政治問題、進而作為道德問題來把握的思維模式,也使之能夠較早地認識到幕末日本所面臨的並不僅僅是軍事危機,同時也是日本國內政治的危機,更有可能發展成為民族認同的危機。因此,他認為:“羣夷競來,雖可謂國家之大事,但不足深憂。可深憂者人心不正也。苟人心正,百死以守國,其間雖有成敗利鈍,未至遽失國家。”通過繼承和重新解讀近世日本兵學,松陰獲得了應對危機所必需的思想資源,成為倒幕維新運動的著名先驅。但也正是因其對傳統的依賴,使得近世日本兵學的保守性側面,同樣在日本近代化發展道路的選擇上留下了深深的烙印。
進而言之,也只有真正認識日本近世兵學作為武士階級綜合學問的特質,正確理解近世武士道論和近世兵學不可分割的緊密關係,才能真正理解中國儒學與日本近世兵學的關係,從而更加全面、更加準確地評估儒學對近世日本社會的影響。近年比較流行的一個觀點是把近世日本沒有科舉、作為一種職業的“儒者”地位不高等因素,視為儒學對日本社會影響有限的論據。
這樣的看法至少是不全面的。儒學並不僅僅是通過“儒者”來影響日本社會。如本文所揭示的,以山鹿流為代表的近世兵學,在兵學的名義下積極接受儒學,這正是儒學影響日本武家社會的重要途徑。雖然學習儒學不能保證地位低下的人立身出世,但是憑藉身份制度出仕的武士,如果不懂儒學只懂武藝,在近世日本其實也是難以出人頭地的。
吉田松陰曾如此描述自己觀察到的重視儒學和吏才超過武藝的社會現象:“文學之士,潛心於誠意正心修身齊家之學,心術工夫精密,他日可臨官建功。武藝練達之人,工夫粗脱,治平之時,雖蒙召出仕更無其所。宜用不學武藝而有吏才之人,卻成世俗之通論。”在和平年代,戰鬥技術遠沒有政治技術更有現實意義。這也正是為什麼山鹿素行重視心術和治術的兵學能夠吸引很多身為大名和高級旗本的弟子。
總之,只有充分考慮“日本近世兵學”這一特殊的學問類型,客觀地認識到儒學對日本的影響,才能夠更好地理解日本武士道的實像。
北京大学历史系副教授 唐利国
主讲人介绍:唐利国,1974年生。北京大学历史学系博士,日本新潟大学博士。北京大学历史学系副教授。研究方向为日本史、日本政治思想史。专著两部:《武士道与日本的近代化转型》,北京师范大学出版社,2010年;《兵学与儒学之间——论日本近代化先驱吉田松阴》,社会科学文献出版社,2016年。
学界通常认为日本武士道论存在一个从山鹿素行到吉田松阴再到明治开国元勋的传承系谱,其实这不过是井上哲次郎(1855-1944)为了塑造近代日本的国民认同,取舍剪裁,精心绘制的一个虚像:山鹿素行是江户时代提倡武士道教育的集大成者,吉田松阴继承了山鹿素行的教导,并通过教育松下村塾的子弟而传续到明治时代,成为推进日本近代化的精神因素。
山鹿素行(1622-1685)吸收中国儒学而形成的武士道论实际上是其兵学即山鹿流兵学不可或缺的一部分。作为近世日本兵学的代表性流派,山鹿流兵学在儒学的强烈影响下形成了兼具政治学、伦理学的特征,而并非像人们所经常误解的那样仅仅局限于军事学。然而,本来作为山鹿流兵学的一个组成部分的武士道论,被井上刻意分离出来加以强调。
基于这一认识框架,战前日本学界一般认为松阴对素行的武士道论是一种单纯的继承关系。但是这里有一个显而易见的矛盾:山鹿素行的武士道论是服务于幕藩制度稳定化的学说,为什么其后学吉田松阴却成为促使幕藩制度解体的先驱?
考虑到在日本近世除了山鹿素行所代表的深受中国儒学影响的居于主流的武士道论之外,还存在一种以《叶隐》为代表的反映了日本战国时代的武士作风的武士道论,于是不少日本学者又另外建立了一个从《叶隐》到松阴的武士道传承系谱。
日本著名政治思想史家丸山真男便认为,山鹿素行的武士道论适应了近世日本家产官僚制的进展,《叶隐》则是在幕藩体制的和平环境之下对战国时代武士作风的意识形态总结;幕末政治状况的变化,使得吉田松阴为代表的志士们复活了《叶隐》所代表的传统武士精神。丸山写道:“在吉田松阴那种典型的‘忘我’忠诚和主体性中,在他那绝对的皈依感情和强烈的实践性的对立统一中,明显地贯穿了《叶隐》里的传统意识。”
但不可忽视的是,松阴的武士道和《叶隐》的精神,在某些根本问题上其实存在着非常尖锐的对立。《叶隐》提倡一种死亡美学,其最著名的主张是:“所谓武士道,就是死。面临生死选择之际,唯速求死而已。”而松阴却主张:“私欲私心全无者,偷生不妨。有死而不朽之预见,可死;有生成大业之预见,可生。”两者的差异如此明显,以至于和辻哲郎、相良亨等均将其分别归入两种不同的类型。更重要的是,《叶隐》在明治以前基本上只限于在佐贺藩士这样一个非常狭窄的范围内流传,并无史料显示出身于长州藩的吉田松阴曾经受到过《叶隐》的影响。
其实,吉田松阴武士道精神源流的问题看似复杂,却不过是近代以来从井上哲次郎到和辻哲郎等日本学者,削弱甚至否定中国儒学对日本的影响,从而制造出来的一个伪命题。
如果从历史事实出发,不难发现吉田松阴的武士道论,与《叶隐》所代表的那种关注以死亡问题核心的战斗者个人伦理的武士道论不同,是一种重视作为统治者的伦理修养和政治技术的武士道论,其本来便是作为山鹿流兵学的一部分,继承自山鹿素行,只是松阴适应幕末变局,在素行学说的延长线上,进行了一定的重新解释和积极的实践。
被井上哲次郎奉为日本武士道论经典的《武教小学》,本来便是山鹿流兵学的核心著作《武教全书》的一部分。被井上视为松阴武士道论代表作的《武教小学讲录》,本来便是其为亲戚子弟讲解素行的《武教全书》的笔记,原题为《武教全书讲录》。松阴讲解兵学而阐发武士道论,原本是自然而然的事情。只是,假如承认这一点,就隐然形成了“中国儒学——山鹿流兵学——吉田松阴武士道论”的思想系谱,这是热切希望挖掘日本独特传统的某些学者所不愿承认的。这一潜在的学术外动机与近代性学科分化观念的影响相互强化,使得井上哲次郎确立的认识框架至今仍未得到很好的反省。
然而,割裂武士道与兵学之关系的分析视角,不但导致了对松阴武士道之日本特殊性的过度强调,也导致对日本近世兵学的观察失真,反而不利于全面认识日本传统学问在近代转型期的历史意义。
在此视角的影响之下,讨论武士道时不考虑兵学几乎成为惯例,而对兵学的讨论也往往忽视对武士道论的分析。近年在日本学界以对近世兵学的研究而知名的前田勉,便明确地将武士道论排除在自己对兵学的研究之外,直接以所谓儒学和兵学的对抗关系为前提,去考察“以兵学与朱子学为两极而展开的近世日本思想史”。由于没有认识到山鹿素行的武士道论本来便是山鹿流兵学不可或缺的一个组成部分,前田缺乏对近世日本兵学积极接受儒学影响的理解,将山鹿素行的学说单纯地定性为德川时代“兵营国家”的支配思想,一味强调山鹿素行基于排除纪律违反者的军队统制论而形成了排除无用者的社会主张,认为其“批判朱子学的根源性理由是此排除无用者的逻辑”。
将近世兵学和武士道论割裂开来进行研究的结果便是,既无法认识到作为近世兵学之组成部分的武士道论的合理性侧面,也无法认识到近世日本兵学的道德性追求。
只有认识到,山鹿素行的武士道论是其兵学的一个组成部分,才能够真正理解作为近世兵学典型代表的山鹿流兵学乃是近世日本武士的综合学问。素行立足兵学吸收儒学而形成的武士道论,与以《叶隐》为代表的强调非理性的“死亡美学”的日本武士传统有着本质不同,旨在适应近世武士由战斗者向统治者转变的时代需要,为其提供颇具理性主义的伦理教诲和政治指导。
以这种新型的武士道论为其重要内容的山鹿流兵学,积极地接受儒学的影响而发展为涵盖伦理学、政治学等内容的综合学问,绝非像今人所经常误解的那样仅仅局限于军事学。山鹿素行批判日本固有的兵学道:“古今论兵之士,专为杀略战阵,故兵法陷于一技之中。……士之业曰兵法。若不以兵法尽修身正心治国平天下之道,兵法者不足用也。”这里的“士”即武士的责任已经不只是打胜仗,而是要通过个人修养和政治实践来实现儒家理想的社会秩序。他声称孔子、孟子等“诸先圣先贤皆兵法之大家也”,面对孔孟等人并无兵书传世的质疑,素行声称:“当世之四书、六经者,皆此(即兵书)也。”
山鹿素行的武士道论其实包括了君道论、臣道论和士道论三个部分。他不是仅仅强调下位者的服从道德,也很重视作为统治者的武士所应有的道德修养和统治技术。然而,井上哲次郎致力于构建以所谓武士道为核心的国民道德,只强调素行的“士道论”,因为其中要求效忠、服从等的内容比较多;而比较强调在政治思考与行动方面的主动性的“君道论”和“臣道论”,则被井上有意无意地忽略了。只有综合考虑山鹿素行关于君道、臣道和士道的议论,才能够完整地把握山鹿素行的武士道论兼容伦理学和政治学的性质。
素行强调,身为武士应该懂得“圣学之道理”,而且有很多知识需要学习:“其上于武门又多有大小之事。小事云者,至于衣类、食物、屋作、用具之用法,皆有武士之作法也。更有武艺之修习、武具马具之制法用法。大者有天下之治平礼乐、国郡之制,山林、河海、田畠、寺社、四民、公事诉讼之处置,以及政道、兵法、军法、阵法、营法、筑城、战法,此皆武将武士日用之业也。”与此同时,素行又强调:“然虽自己一身修得武门之学问,验之实事而无功者,无圣学之理也……能知圣学之定规铸型、入规矩准绳时,见事能通,闻事则明,则无论何事来时,既已明白思虑其种种,故逢事无屈。此为大丈夫之意气。”素行所确立的山鹿流兵学,以儒学为根基,包罗万象,可以说是近世武士的综合学问。
明确了山鹿流兵学的综合性,便不难理解其非但不会在西方的军事优势面前一触即溃,反而能够在某种程度上积极求新求变,从而在日本从近世向近代转型的特定历史时刻,极为吊诡地发挥了独特的变革功能:体制重建的努力成为触发体制变革的导火索,同时也限制了变革的深度和广度。
作为山鹿流兵学传人的吉田松阴,既没有在西方压倒性的军事力量面前丧失信心,也没有固步自封,能够比较积极地接受新知,寻求变化。而松阴在家学修业过程中形成的把军事问题作为政治问题、进而作为道德问题来把握的思维模式,也使之能够较早地认识到幕末日本所面临的并不仅仅是军事危机,同时也是日本国内政治的危机,更有可能发展成为民族认同的危机。因此,他认为:“群夷竞来,虽可谓国家之大事,但不足深忧。可深忧者人心不正也。苟人心正,百死以守国,其间虽有成败利钝,未至遽失国家。”通过继承和重新解读近世日本兵学,松阴获得了应对危机所必需的思想资源,成为倒幕维新运动的著名先驱。但也正是因其对传统的依赖,使得近世日本兵学的保守性侧面,同样在日本近代化发展道路的选择上留下了深深的烙印。
进而言之,也只有真正认识日本近世兵学作为武士阶级综合学问的特质,正确理解近世武士道论和近世兵学不可分割的紧密关系,才能真正理解中国儒学与日本近世兵学的关系,从而更加全面、更加准确地评估儒学对近世日本社会的影响。近年比较流行的一个观点是把近世日本没有科举、作为一种职业的“儒者”地位不高等因素,视为儒学对日本社会影响有限的论据。
这样的看法至少是不全面的。儒学并不仅仅是通过“儒者”来影响日本社会。如本文所揭示的,以山鹿流为代表的近世兵学,在兵学的名义下积极接受儒学,这正是儒学影响日本武家社会的重要途径。虽然学习儒学不能保证地位低下的人立身出世,但是凭借身份制度出仕的武士,如果不懂儒学只懂武艺,在近世日本其实也是难以出人头地的。
吉田松阴曾如此描述自己观察到的重视儒学和吏才超过武艺的社会现象:“文学之士,潜心于诚意正心修身齐家之学,心术工夫精密,他日可临官建功。武艺练达之人,工夫粗脱,治平之时,虽蒙召出仕更无其所。宜用不学武艺而有吏才之人,却成世俗之通论。”在和平年代,战斗技术远没有政治技术更有现实意义。这也正是为什么山鹿素行重视心术和治术的兵学能够吸引很多身为大名和高级旗本的弟子。
总之,只有充分考虑“日本近世兵学”这一特殊的学问类型,客观地认识到儒学对日本的影响,才能够更好地理解日本武士道的实像。